東日本大震災から7年…

1995年の阪神・淡路大震災のときは建設会社で働いていたけど、能力不足で被災地復旧のための派遣メンバーには選ばれなかったのよね。建設会社の職員として現地に入るには、そこで必要とされる技能を持ってないと話にならないから、私が派遣されなかったのは当然のことだったと思うよ。

7年前の東日本大震災のときは建設会社も再就職した大学も辞めていて、定職にも就かずに独りぼっちだったから、震災情報で溢れるネットにかぶりついていたように思う。当時の私の専門分野は廃棄物の最終処分場だったので、もしかしたら何かの役に立てたかもしれない。でも、激務には耐えられなかったかもしれない。結局、何の役にも立てなかった。

2011年3月の日記で、震災関連のものを見てみたら…

いま読むと恥ずかしいこと・間違いかもってことを、たくさん書いちゃってますね。まぁ、そんなふうに振り返ることができるってのも日記の目的の一つだからいいんだけどね。

でも、7年かぁ。遠い昔のような気もするし、その間に自分はどのくらい成長したのか、どのくらい世の中のためになれたのかって考えると、7年もあったのにこんな程度なのか?と ちょっと凹んじゃうよ。
被災され、いまも苦しんでいる方々にとっては、とても辛くて長い7年だったことでしょうし、それがこれからも続くことを思えば、本当に大変で、とても気の毒です。私には乗り切れないかもしれないと感じます。

私は、行政がきちんと機能していて ちゃんと経済がまわっているような、そんな「正常であること」を前提に生きてきましたが、(いまさらですけど)その前提を考え直さなければならないですね。阪神・淡路大震災も東日本大震災もその他の災害も、当事者になれば「正常であること」が根底から覆されてしまいます。
そのような状況にいつ置かれても不思議はない、それに備えなければならないと頭では分かるんだけど、それがなかなか難しいんです。認めざるを得ないのは、定職がない(というか、個人事業だけでは十分には食べていけない)状況も要因の一つかな。

まぁ、凹んでいるだけでは何も解決しないからね。来年以降も食べていけるよう、コツコツやりますよ。少しだけ光明が見えてきたところだし。前向きに生きていかないとね。
そして、被災して現在も苦しい状況にある方々には、これから幸多い人生がやってくることを心から祈っています。

 

 
20180311_Bing 陸前高田 灯籠流し

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